【第5回】茅葺の里 美山
2024.2.26
京都府南丹市美山町は京都府の中央部にある山間の町、かつて京都と日本海の玄関口であった若狭小浜との中間に位置することから、「西の鯖街道」が走りにぎわった町である。
そしてここには、昔ながらの茅葺屋根の民家が今も多く残り、「日本昔ばなし」を思わせる懐かしい風景が見られる。
その中でも「由良川」沿いのゆるやかな傾斜地の谷あいの集落「北」地区には、50戸の内39棟の茅葺民家が奇跡的にまとまって残っている。
日本の原風景ともいえるその風景が評価され、1993年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
四季折々の風情が美しい「北」集落。
2007年5月撮影
2009年9月撮影
2018年9月撮影
2005年2月撮影
2022年1月撮影
この地域の茅葺屋根の形状は、丹波地方東部を中心に分布する「北山型民家」と言わる山村の農家住宅で、以下のような特徴がある。
1. 入母屋造りで屋根の上には、「千木(チギ)」と呼ばれるX形の木が5本交差し突き出ている。
2. 中央の棟木の筋で部屋を分け、基本の間取りは「四間取り」である。
3. ニワ(土間)は、少し上がった「上げニワ」であまり広くない。昔、土間の横に「ウマヤ」があり牛を飼っていた。
4. 壁は板張り、戸は板戸である。
2018年9月撮影
2011年10月撮影
2018年9月撮影
屋根の小屋組みの構造は、横架材である「梁・桁」「母屋」「棟木」に丸太を八の字にながし、縄でくくりつける構造。
まさに縄文時代の「竪穴式住居」の構造と基本同じで、日本の「家」の原型といえる。
2012年10月に偶然ここで見かけた茅葺屋根の葺き替え作業。
以前は、村人の共同作業行われていた作業だが、今日、数少ない専門職の方が行っているようである。
この日4人若い職人さん達が、伝統的技術を引き継ぎ作業する姿は頼もしく思えた。
2012年10月撮影
茅葺屋根の厚さは35cm程。その茅葺屋根は、昔は室内の囲炉裏で火を焚き、その煙でいぶすことにより、虫を寄せ付けず寿命も長かったが、生活様式の変化でいぶすことが無くなったことにより、20~30年ごとに葺き替えが必要らしい。
その茅は近くの「茅場」で刈り取り、天日干し、葺き替えのために保存されている。
2007年4月撮影
これもたまたま見かけた、美山町の「島朴ノ木」地区というところ行われていた茅葺民家の再生工事。
2008年11月撮影
この民家も含め、日本の昔ながらの家造りは、石の上に「うわもの(建物)」を乗せているだけの「石場建(いしばだて)」と言われる構造。
現在の家は、鉄筋コンクリートの基礎の上に土台を敷き、「うわもの」とアンカーボルトでつなぎ一体にした構造で、地震の際、建物は地面の動きに追随して動き揺れる。
それに対し「石場建」の場合は、「うわもの」が石の上に乗っているだけなので、地震の際、地面の動きに対し、石の上で地震力を滑ってかわすことにより、「うわもの」自体のダメージを抑えるという先人の経験と知恵から生まれた優れた構造である。
この作業は、「石場建」の石を据えるのに穴を掘り、穴の下地の土を締め固めるために「タコ」という手作りの道具で土を締め固める作業。
2008年11月撮影。
美山町の「樫原」地区には、日本最古の「農家型住宅」と言われている国の重要文化財である「石田家住宅」がある。
石田家は、樫原で庄屋を務めた旧家。1973年に解体修理がされた際、「慶安3年(1650年)3月11日」の墨書きが発見され、年代の明らかな民家として最古といわれている。
2008年11月撮影
石田家住宅の平面図。
この住宅は「入母屋造り」で、妻側に入り口がある「妻入り」住宅。
「オモテ」と呼ばれる部屋だけが畳敷きで、「間仕切り」は板壁と板の引き戸で区切られ、「ニワ(土間)」は床面近くまで土を盛り上げる「アゲニワ」で、いわゆる「北山型民家」の最も古い例である。
2008年11月撮影
今回の「第5回茅葺の里 美山」を編集していて、私の写真データを見ていると2001年から2022年までに少なくとも10回美山を訪れている。
昭和生まれの私にとって、「美山」はよほど気に入りの場所なんだと改めて思った。
2009年9月撮影
2018年9月撮影
2009年9月撮影