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【第8回】北国海道 高島かいわい

日本海へとつながる海への道「北国海道(西近江路)」は、滋賀県の大津市「札ノ辻(ふだのつじ)」から琵琶湖の西岸を北上し、琵琶湖北端の「海津」から福井県の「敦賀」へと抜ける「海道」(現在の国道161号線とほぼ同じ道)である。

その海道が走る「高島」は、近江国(滋賀県)の北西部に位置する街、奈良時代の日本書紀にも名が記された歴史深い地であり、琵琶湖を有する近江ならではの見どころ多い地である。

【第8回】北国海道 高島かいわい

その海道沿いの「高島市鵜川(うかわ)」には、湖中に朱塗りの鳥居が浮かぶ近江最古の大社である「白髭(しらひげ)神社」がある。

2023年6月17日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

現在の社殿は、豊臣秀吉の遺命により秀頼が片桐旦元(かたぎりかつもと)を奉行として造営されたもので重要文化財に指定されている。

2023年6月17日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

白髭神社から北国海道(161号線)は、山が湖岸まで迫る最も狭い箇所を走る。そしてその迫る山の斜面を左手に登っていく細い山道を行くと「鵜川四十八体石仏群」が静かにたたずんでいる。

伝えによると戦国時代の武将、佐々木六角義賢(よしかた)が亡き母の菩提を弔うために建立されたもので、永年の風雪によって風化した表情に歴史が感じられる。

2023年6月9日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

そこから山道を下り161号線に合流し、少し走り161号線と別れ左に折れると「高島市勝野」の街に入る。

この地は、古くから畿内と北陸地方を結ぶ交通の要所の一つで、戦国時代、織田信長は戦略上の重要拠点として「勝野」に甥の織田信澄(のぶずみ)に命じて内湖を堀とした水城「大溝城」を築かせた。

2015年10月29日撮影―高島歴史民俗資料館より―

【第8回】北国海道 高島かいわい

そして信長は、東に「安土城」、北に「長浜城」、南に「坂本城」、西に「大溝城」と琵琶湖に面し水城を築き琵琶湖の制海権を掌握した。

2023年6月17日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

現在大溝城は、天守台跡の石垣の一部のみが残っているだけである。

2013年11月24日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

当時、大溝城の外堀としての役割を務めた琵琶湖の内湖(ないこ)「乙女ケ池」。

2023年6月17日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

「勝野」は江戸時代、大溝藩の城下町として形成され栄えた街で、今も紺屋町・職人町・蝋燭町などの町名と古い町家も残り、築300年を超える民家も見られる。

2023年6月17日撮影

木部に「ベンガラ」が塗られた町家。

またこの地は発酵食の街でもあり、滋賀県で唯一の酢の醸造所や造り酒屋、麹屋、味噌屋、鮒寿し屋があった。昔は造り酒屋が7軒もあったそうである。

そのうちの一軒である「萩乃露」の名で知られた、造り酒屋の福井弥平商店。

2023年6月9日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

萩乃露は私が好きなお酒で以前、この店から取り寄せ晩酌にいただいていた。

2023年6月9日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

滋賀県で唯一の酢を醸造販売している店。

2023年6月17日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

この店には様々な酢の商品と共に、何故かロールケーキやシュークリームなどのスイーツ類もおいていて、ロールケーキは絶品だった。

【第8回】北国海道 高島かいわい

そして近江の郷土料理を代表する「鮒寿し」。

琵琶湖でとれる子持ちの「ニゴロブナ」を丸ごと漬け込み発酵させ、現存する最古の「寿司」とも言われている。

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その「鮒寿し」の老舗である「総本家 喜多品老舗」。

かなり以前にこの店でいただいた鮒寿しの茶漬けの味が忘れられない。

2023年6月17日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

喜多品さんの前の道の中央には水路が流れ、当時は生活用水として活用され、そこで鮒寿しの漬け込みが行われていたそうである。

写真は2001年にここを訪れた時、勝野のある店に掛けられていた当時の貴重な写真を撮らせてもらった1枚。

2001年5月5日撮影

「勝野」から海道を北に進み「高島市鴨」というところに「高島歴史民俗資料館」があったのだが2024年3月31日に閉館したようである。

この資料館の北側には「稲荷山古墳」があり、資料館にはそこから出土した貴重な副葬品類が展示されていた。

稲荷山古墳の被葬者は、古事記・日本書紀から第二十六代「継体(けいたい)天皇」を擁立した、近江「三尾(みおの)氏」の族長墳墓であろうと推測されている。

出土した家形石棺の中の副葬品は、朝鮮半島三国時代の「新羅(しらぎ)」の王陵級の古墳から出土するものと類似しており、朝鮮半島との交易を示しているのではと考えられている。―高島歴史民俗資料館資料より

ちなみに古墳から北に「鴨川」に架かる「天皇橋」を越えた「三尾里」というところで「継体天皇」が出生されたそうで、このあたりには古代の遺跡が数多くある。

2015年10月29日撮影―高島歴史民俗資料館資料より―

発掘された「金銅製冠(かんむり)」のレプリカ。

古代ロマンの地「三尾里」をすぎ、道を北に進みJR 湖西線安曇川(あどがわ)駅を越え湖岸に向かって進むと「日本陽明学の祖」であり「近江聖人」としてたたえられた「中江藤樹(とうじゅ)」生誕の地がある。

ここには、人々を等しく愛し、庶民のために開いた日本最初の私塾である「藤樹書院」が残されている。

現在の建物は、明治十三年に焼失したのち二年後に再建されたもの。

2015年10月撮影

このあたりは、「安曇川」の扇状地で湧水が豊富で敷地の前の水路には清らかな水が流れ、中を鯉が泳いでいる。

2015年10月29日撮影

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近くには、「中江藤樹記念館」や「中江藤樹墓所」、そして中国の明代の儒学者「王陽明」の生地である中国浙江省余姚市(よようし)と中江藤樹の生地である滋賀県安曇川町の友好交流を記念して建てられた「中国式庭園陽明園」がある。

2015年10月29日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

ここ「高島市安曇川町」は、扇子の骨の部分の「扇骨」が伝統産業の一つになっている。

江戸時代中期に安曇川の堤防補強のために農民の手で竹が植えられに、その竹で農閑期の副業として扇骨づくりが勧められたそうである。

2015年10月29日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

そして隣町の「高島市新旭町」の「針江(はりえ)」は、「生水(しょうず)の郷」と呼ばれている。

湧き水が豊富で集落中に巡らせた水路によって、大半の家庭が湧き水を生活用水とする「かばた」と呼ばれる水場を利用している。

その湧き水は、飲み水としも活用されるが「かばた」では洗い物がされ、洗い物のかすを鯉が掃除してくれることにより水が浄化される。

2015年10月29日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

水の温度は年間を通じて13℃程、夏にはスイカや野菜・飲み物が冷蔵庫代わりに冷やされる。

2004年8月1日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

水路には、清流にしか育たないバイガモが小さな花をつけていた。

2004年8月1日撮影

【第8回】北国海道 高島かいわい

北国海道「高島かいわい」、歴史も深く自然も豊かな近江ならではの見どころも多く、誠に興味深い地である。

帰りの土産は、針江集落内にある豆腐屋さんの湧き水につけられたに昔ながらの木綿豆腐とその近くの佃煮屋さんのエビ豆、そして萩乃露。

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