【第12回】奈良 吉野の山と木のこと
ツキデ工務店は、国産材とりわけ奈良県「吉野」の杉・桧を使い、大工の手加工による家づくりを行っている。
ツキデ工務店が吉野とお付き合いするようになったのは、30年ほど前の1995年頃、大阪の「Ms建築事務所」の建築家である三澤夫妻とのお付き合いの中で、吉野の木を扱う若手の方たちとの出会いがきっかけであった。
当時、吉野材は「吉野銘木」として世間に知られ高価なイメージがあり、建築業界で一般的に使われていた木材は、安価で安定的に供給されていた外材が主流であった。
また町の工務店が使う木材は、地元の材木屋さんから購入するのが当たり前で、直接、山の製材所と取引することは一般的には考えられなかった。
そんな中、吉野の山の方たちと知り合いとなったことにより、吉野の「山・木」のことをはじめ様々なことを見聞・体験し「吉野」に魅了され、そこからツキデ工務店の「吉野の木での家づくり」が始まった。
「川下」の工務店が、「川上」の原木を扱う製材所で直に木を見、対話することで、ほしい良材を安定的に効率よく得ることが可能になったのである。
2005年8月撮影
吉野の木は古代には、大和王権が築いた都の造営や社寺仏閣に用材として使われてきたであろうし、戦国時代には、豊臣秀吉による大阪城や伏見城の築城にも使われてきた。
人の手による植林が初めておこなわれた吉野林業は、500年の歴史があるといわれている。
その吉野林業の特徴は、実生(みしょう)から育てた苗木を他の地域に比べ圧倒的に多い1ha当たり1万本ほどを山に「密植」し、「山守(やまもり)」さんという地元の林業の担い手が、永い時間をかけ「間伐」を数多く繰り返し、「高伐期」で大径木に育てる施業が特徴。
そんな250年生の杉の山は圧巻である。
2009年9月撮影—ツキデ工務店主催の第7回吉野ツアーで「北村林業」さんの250年生の杉の山にて
そうして育てられた吉野杉は、淡紅色で色艶もよく木目が通り年輪幅が緻密で均一である。
2008年2月撮影
手塩にかけ育てられた杉は、数十年おきに選別され順次「間伐」される。
2011年11月撮影—百数十年生の杉の伐採の様子
伐採では木は山の尾根側に倒され、すぐに出材せず生きた葉を残し数ヶ月、200年を超える巨木では1年以上そのまま山に放置し「葉枯し乾燥(渋抜き)」される。
杉の生木の含水量は100%以上の水の塊、葉から木の水分を吸い揚げ抜くことにより、木が軽くなり山からの出材が容易になると共に、色艶が良くなるといわれている。
2004年1月撮影—「葉枯し乾燥」の様子
「葉枯し乾燥」された木は、山から出材される。
吉野の山は急峻なため、作業道の整備が容易でないこともあり、現在ではヘリコブターによる出材が多く行われている。
2009年4月撮影—ヘリコブターによる出材風景
ただヘリコブターによる出材は、費用がかさむことが欠点である。そこで吉野の林業家の中には、比較的低コストであると共に山の作業がしやすいように、大阪の林業家「大橋慶三郎」さんの手によってなされた「大橋式」と呼ばれる施業で路網を整備されている方もおられる。
大橋式作業道づくりは、力任せに山を削り道を造るのではなく、山の特徴や斜面の状態を読み取り、『山の声を聞く』という作業道づくりで、除伐材を利用しながら壊れない道を作っていく自然に優しい施業である。
2007年4月撮影—「清光林業」の岡橋さんの山にて
その道を四輪駆動の小型トラックなどで出材されるのだが、昔、人力で出材していた様子の貴重な写真を、2014年の火事で焼失した吉野郡川上村にあった「もくもく館」という吉野林業のことを詳しく紹介した資料館で以前に見た。
2001年7月撮影—「もくもく館」にてて
出材された原木は、山の一角の平地に集められ、そこからはトラックで町の市場へと運ばれる。
昔は、原木をいかだに組み吉野川を下って運ばれたそうである。
2016年10撮影
町にある原木市場に運ばれた原木は、定期的に開かれる「原木市」で入札により製材業者に競り落とされる。
2008年2月撮影—「上吉野木材協同組合」の原木市場の様子
落札された原木は、製材所に運ばれ製材される。
原木を製材するには、木の知識と熟練の技術力が必要である。
一本一本違うその木の特徴を読み取り、柱・梁・板等どんな材をこの木からとるか、節の出方の見分け、そして無駄を最小限にすることなどを考え製材される。
2008年2月撮影—「吉野中央木材」さんにて
原木から柱・梁・造作材(鴨居・枠材等)・板類など何をとるかを考え製材することを「木取り」という。
2024年12月撮影―杉の原木の「木取り」
製材されたばかりの粗挽き材には、水分が多く含まれ「含水率」が高い。
含水率が高い材は乾燥することにより、反り(そり)・曲がり・縮み(ちぢみ)が生じるので十分に乾燥しなければ良質な建築用材に適さない。
そのために乾燥させるのだが、乾燥には「自然乾燥」と「人口乾燥」の方法がある。
ツキデ工務店で使う「梁材」は、吉野杉の特徴である色艶を活かすためにも天然乾燥にこだわり、製材所の土場で最低でも1年「桟積乾燥」していただいている。
2016年10月撮影―杉の梁材の桟積による「自然乾燥」の風景、「吉野中央木材」さんにて
そして自然乾燥された杉の粗挽きの梁材は、乾燥することにより曲がったり反ったりしているので、工務店から発注された時点であらためて修正の為に製材される。
その修正挽きされた梁材は、モルダーという機械で厚みや幅をそろえるために粗削りされ、工務店の加工場に搬入される。
こうして加工場に搬入された梁材は、ここで大工の手により「墨付け」し「手刻み加工(きざみ)」され、手カンナで仕上げ色艶が引き出される。
2024年4月撮影―ツキデ工務店の大工の加工風景。
大工の手により仕上げられた材は、お客様の現場に届けられ「建て方」が行われ、そしてめでたく「上棟」の日を迎える。
2014年9月撮影
実生(みしょう)から手間をかけ育林された百数十年生の吉野杉⇨伐採され数ヶ月かけ山で「葉枯らし乾燥」⇨山から出材し製材⇨土場で1年以上「桟積み乾燥」⇨そして工務店に手渡され大工の手により加工され半年ほどかけて「木の家」がつくられるのである。
そんな永い過程を経て完成し晴れてお客様の手に渡り、そしてそこから木は、お客様と共に新たに生きるのである。
2021年9月撮影—ツキデ工務店設計・施工のS様邸にて
吉野の杉・桧の丸太を「木取り」し、建築用材として柱・梁・造作材(鴨居・敷居等)・板などに製材され使われるが、残ったその他の部分も無駄なく使われる。
―吉野の割り箸—
建築用材として使えない丸太の端の「背板(せいた)」と呼ばれる部分は、色が白く木目が均一で
細かいことから、「割り箸」として最適な素材で、使用時にはきれいに割れる。
2001年7月撮影―丸太の「背板」
吉野で家内工業として行われている割り箸造りの様子
―桧・杉の丸太の皮-
桧の皮(樹皮)は、土場で丸太からがはがし、社寺仏閣の「桧皮(ひわだ)葺き」の屋根材として使われる。
また杉の皮(樹皮)は、和風建築の壁や塀に利用される
2023年5月撮影—ツキデ工務店設計・施工のN様邸にて
こうして建築用材としての「吉野銘木」から「皮」まで使いきるのも吉野林業の特徴であり、500年の歴史のなかで培われてきたたまものであると思う。
2016年10月撮影―「北村林業」さんの土場にて
吉野には、チェンソーを使った「チェンソーアート」の作家さんもおられる。