竣工:2019年7月
この建物は、大阪府枚方市を走る「京街道」の(旧)枚方宿に建ちます。 「京街道」は、江戸時代、京都の伏見と大阪の高麗橋へとつながる淀川左岸を走る街道で、京都と江戸を結ぶ東海道五十三次から「伏見宿」・「淀宿」・「枚方宿」・「守口」と続く古道です。
その(旧)枚方宿には、今も当時の面影が残る建物が多くはないですが点在しています。
その京街道沿いに建つこの建物は、「表屋造り」と言われる建物形式の、蔵を含むと間口が10間半(約20m)の大型の町家です。
「表屋造り」とは、通りに面した「表屋」と呼ばれるミセ棟と「ゲンカンニワ」と呼ばれる中庭を介して居住棟である「主屋」がある町家です。
当初明治の建物かと推測していたのですが、工事中に天井をめくると「棟札」が現れ、「天保三壬辰九月吉祥日」と書かれていました。
天保三年というと江戸時代、西暦1832年なんと187年前の建物です。
建物は、南側の玄関と「通りにわ」を挟み、東側に応接間(元は納戸)、西側に庭に向かい三つの和室がつながり、「奥の間」が床の間がある座敷、「中の間」は仏間だったのですが、その「中の間」の縁側部には元は客人用の玄関がありました。今回の計画では、その縁側部に玄関を新たに設け、玄関を入って「中の間」その左側に「奥座敷」、正面から左手奥をお祖母さんの生活ゾーン、右側を息子さん家族のゾーンとしました。
新たに設けた玄関
「中の間」左側に「奥座敷」が続きます。
築130年の石場建て(石の上に柱がのる)の伝統工法の建物ですが、それぞれの柱のレベルもタチもさほど悪くなかったのですが、唯一床の間の壁一列が60mmほど下がっていました。原因は多分、壁裏の細い路地に下水管が敷設された際に石垣ごと下がったのではと思われます。 そのためにその部分にベタ基礎を打ち、ジャッキアップして60mmほどあげました。 そして床脇を仏間としました。
南側の元の家人用玄関と玄関横の座敷は、庭に面し明るいので息子さん家族のダイニングと居間にしました。 構造的に重要な「差し鴨居」と梁表しの「大和天井」はそのまま活かしています。
元応接間だった部屋は、梁を補強してこども部屋に。
こちらはお祖母さんの居住空間。 キッチン・風呂洗面・トイレの水回りも別に設けています。
ダイニングキッチンが北側にあるのですが、一部減築した東側に広いウッドデッキの物干し場を設けたので掃出し窓から十分な採光が得られます。
また古い建具も傷んだところを直しできるだけ再利用しています。
以前の庭の樹木中に埋もれていた三体の小さなお地蔵さん、新たに庭の西端に祀られ、花が供えられていました。