【第17回】伊勢街道を行く―その2「松阪」から「伊勢」へ
「伊勢街道」は、三重県四日市の「日永の追分」で「東海道」と分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至るおよそ十八里(72km)の街道である。
『伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも』と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれた伊勢参り。
江戸時代には、人々が熱狂的に伊勢を目指した『おかげ参り』が50~60年周期で流行し、伊勢街道は、交通の大動脈である東海道に次ぐ交通量が多いにぎやかな街道であった。
そんな「伊勢街道」は、今も当時の面影が随所に色濃く残る趣のある街道である。
私は、2018年5月に「松阪」あたりから「斎宮」まで歩いたのをきっかけに、その後も伊勢街道にひかれ相棒である折りたたみ式の自転車に乗り何度か巡っている。

「松阪」は、「伊勢街道」の宿場町であると共に「蒲生氏郷(がもううじさと)」が「松坂城」を築き整備した城下町でもある。
国史跡である松坂城跡は、今は石垣を残すのみであるが松坂公園として親しまれ町のシンボルである。
2021年1月撮影

城内には、ここ松阪の出身の江戸時代の国学者であった 「本居宣長(もとおりのりなが)」の移築された旧宅と本居宣長記念館がある。
また「松阪」は、あの三井グループの「三井家」をはじめ、日本を代表する「松阪商人」を輩出した商業の町でもある。
その「松阪商人」は、蒲生氏郷が郷里の近江から有力な近江商人を松阪に呼び寄せ住まわせたのが始まりとされている。
広大な敷地に建つこの建物は、当時の江戸で木綿問屋を5店舗経営していた「旧長谷川家住宅」(国の重要文化財)、ここは公開され見学ができる。
2025年7月撮影

松阪は江戸時代より生産される、藍染めの糸を用いた縞(しま)模様の綿織物「松阪もめん」の生産地であった。
「松阪もめん手織センター」では、「松阪もめん」製品や機織り(はたおり)機」が置かれ機織り体験もできる。
2021年1月撮影
「松阪」から伊勢街道を南へと走る。
街道沿いには、今も趣のある連子格子の民家が点在する。
2018年6月撮影

山門へと続く参道の石の太鼓橋が目を引く街道沿いの「浄林寺」。

妻側の白壁に虫籠窓があるこの家は、「おもん茶屋」という茶店だった民家。

この辺りにも連子格子の趣のある民家や蔵が見うけられる。

まもなく街道は、「櫛田川」を渡る。
当時「櫛田川」は、春・冬の渇水期には仮橋が架けられ、夏・冬の増水期には船で旅人を渡し、それぞれ「橋銭」・「舟銭」を徴収したそうである。

さらに進むと田園風景が広がり、その田園の中を近鉄山田線が街道と平行して走る。
その街道沿いに文化14年(1817年)建立と記された、六文字の梵字が彫られた石碑が立つ。

その近鉄山田線の「斎宮(さいぐう)駅」の北側に、広大な敷地の「斎宮跡」がある。
「斎宮」は、「斎王」の宮殿と斎宮寮という役所のあったところである。
「斎王」とは、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため派遣された未婚の皇女である。
天皇の即位ごとに選ばれ、崇神天皇の皇女が初の斎王で南北朝時代の後醍醐天皇の代まで続いたそうである。
これまでの「斎宮跡」の発掘調査から、平安時代前期に碁盤目状に区画が整備され建物が並んでいたそうだ。
広大な敷地の「斎宮跡」に「斎宮歴史博物館」や無料の休憩所である「いつき茶屋」がある。その茶屋には、「斎王祭り」の代々の斎王役の写真が飾られていた。
「斎宮跡」に作られた「斎宮」の模型。
このあたりの伊勢街道沿いには、旅籠・酒屋・小間物屋など商家が多く軒を連ねていたそうで、今も趣のある立派な建物が多く残っている。


さらに街道を進むと『名物へんば餅』と書かれた暖簾が架かる店がある。
当時、馬を借りて参宮する人達がこの店でいこい、ここから馬を返し船で参宮したそうで、いつしか「へんば(返馬)」餅と名付けられたそうだ。
ここで『へんば餅』をいただいた。


この先、街道は「宮川」を渡る。
当時ここには橋がなく、伊勢神宮へ向かう参詣者にとってここが最後の難所であったようで、「渡し」がありそこから船で渡ったそうだ。

『おかげ参り』で賑わう、「宮川の渡し」の当時の様子。
2023年2月撮影

「宮川」を渡り進むとまもなく「伊勢街道」と「伊勢本街道」・「熊野街道」が合流する「筋向(すじかい)橋」が現れる。
下を流れる川は、現在は暗渠になっている。
2022年5月撮影

その角に立つ説明書きに描かれた当時の『おかげ参り』の様子。

「筋向橋」の少し先に、立派な店構えの「小西萬金丹」の建物が目に入る。
江戸時代前期に始まった『お伊勢参り』とともに全国に名を知られた「萬金丹」は、伊勢の伝統的な和漢胃腸薬。旅人や家庭のお供として親しまれたそうだ。
2018年6月撮影

そしてようやく「伊勢神宮外宮」に到着。
「伊勢神宮外宮」は、「伊勢神宮内宮」に鎮座する「天照大神」の食事をつかさどる丹波の国から迎えられた「豊受大神」が祀られている。

ここから街道は「伊勢神宮内宮」へと向かい、坂道を上っていくと「古市」の街に入る。
「古市」は、伊勢神宮を詣でた後の「精進おとし」の場として遊郭があったところである。
今、街にはその面影は、まったく残っていないが唯一「麻吉旅館」が当時の面影を残す。
2022年5月撮影

「麻吉旅館」は、もとは「花月楼 麻吉」という茶屋で、明治時代は県下でも珍しい三層楼の建物で、芸子も常時30人ほど抱える県下第一級の大料理店であったそうだ。
現在は旅館だが、古市で当時の面影を残す唯一の楼閣建築として登録有形文化財に指定されている。
中心となる建物が斜面に5棟建ち、下の道から最上層まで6層に及ぶ見ごたえのある建物である。

以前、見学させていただいたときに撮った、当時の華やかな写真。
2017年1月撮影

「古市」から坂道を下ったところに、「猿田彦神社」が鎮座する。
「猿田彦神社」には、「天孫降臨」の際に道案内をした猿田彦大神が祀られている。
2022年5月撮影

そして街道は、伊勢神宮内宮の「宇治橋」へとまっすぐに向かう「おはらい町通り」に入る。
この日、ここに着いたのが早朝、さすがに「おはらい町通り」・「おかげ横丁」も店はまだ開いていなく、参拝者・観光客もほとんどいない。
これまでに参拝者や観光客でごった返す通りを何度も訪れているが、こんなに静まり返った光景は初めてである。
こうしてじっくりみると趣があるいい街並みである。

通り沿いには、「切妻妻入り」の伊勢地方特有の町家が並ぶ。
伊勢地方は台風を多く、土壁を保護するために外壁は「下見板張り」。
一階正面のひさしには、吹きぶりの雨と垂木の小口を保護するための幕板「軒がんぎ板」が設けられている。
また妻側上部は、二階の「出格子」の軒瓦の壁との取り合いからの雨水の侵入を防ぐためか、「下見板」を外壁から張り出している。
これらの意匠によった統一された町家が連続することにより、非常に趣のある街並みが形成されている。

そして「伊勢街道」の終着地である「伊勢神宮内宮」入り口の五十鈴川に架かる「宇治橋」。
当時の旅人たちは、長い道のりを経てどんな気持ちでこの橋を渡ったであろうか!

「おはらい町通り」でこの時間帯に唯一開いている店があった、「赤福本店」である。

私が店の方に『朝早くから開けておられるのですね!』と声をかけると。
『内宮さんが5時から開けられるので、それに合わせ5時から店を開けさせていただいています!』とのことあった。

















